凶片狩というのは、もちろん名の知れた集団である。
ましてや、紫彗片の取引を行う盗賊やその業者の間において、その存在は恐怖の対象だ。
しかしながら、民衆――辺鄙な地域の村であればなおさら――にとっては、その悪党どもを追い払ってくれる英雄のような扱いをされることも多々あった。腕の立つ者の多い彼らは、仕事先でも全く関係のない武闘家などに勝負を挑まれることも、また同様に。
そして、この酒場においても、凶片狩というだけでやたら持ち上げられていた。
「なあ、あんた凶片狩なんだって?」
「そうだ」
肩幅がアラクの倍はあろうかという巨体が、隣で尋ねてくる。
「女だてらによくやるねえ……見た感じ得物もねぇな。あんた素手か?」
「そうだ……」
男の言葉もそこそこに、手にした杯をあおる。慣れた風だといった感じだ。
実際アラクが同じような質問を受けたのは、これで何度目か。両手では数えきれない。数えようと思ったら両足の指を使っても足りないくらいだ。
流れ通りなら、この先は――
「ま、俺の力には敵わねえな! がははは!」
(だろうな)
大抵、アラクを舐めきった発言が飛んでくる。
だろうな、というのも、アラクの予想どおりだったことが彼女の鬱屈さを一層確固たるものにしたことから出たのだった。
酒が不味くなる。
液面に映る自分の顔を見れば、ひどくだるそうだった。
女というだけで甘く見られる。それは戦場では確かに武器には成り得たが、体裁という意味では非常に不便なものだった。立場や身分の高い人間との交渉や会話においては、女のアラクは軽んじられる。アラク自身が優秀な人間であることは言うまでもない。しかし、世間はそうではないのだ。
凶片狩という身分は隠すものではないし、明かすことで様々なメリットも生じる。町や村の酒場など、上には到底伝わりもしないような情報が転がっていることが多い。そんな小石に紛れた光物を拾い上げることが出来るのが、凶片狩という身分でもあった。
が、それが今夜はこの結果だ。
「おいおいなあ親分! そんな美人と話し込んでどうしたってんだい?」
(厄介なことになりそうだな……)
追加注文と言わんばかりに、彼の子分らしきゴロつき共が4,5人やってきた。
どれも肌の色黒さが闇に溶けるようで、あちらこちらに見受けられる傷跡と鍛えられた身体は単なる喧嘩屋などではないということを印象づける。
「この姐ちゃん、凶片狩なんだとよ!」
「親分~冗談きついっすよお! こいつ女じゃないっすかぁ~」
「武術に性別は……関係ない」
「んなこと言ったってよお、身体の差が違いすぎるぜ」
酔っているのかそうでないのか。もし酔っているのならそれにかこつけてちょっと眠ってもらうことも考えたが、相手がゴロつきではこれが素かもしれない。一般人が凶片狩に殴られ昏倒、などと上に報告が届いたのではアラクもたまったものではない。
「なあ親分……凶片狩って言ったら、こいつ金あんじゃねえか~?」
「……」
「おめえいいこと言うじゃねえかあ~よし姐ちゃん、表出な! うちの子分に勝ったら、姐ちゃんに金をやろう。もし俺らが勝ったら、金と……」
「続きはいい。そういう条件は勝ってから言うとお得だぞ」
「がはは! 違いねえな!」
かえって好都合だ。
向こうから事をふっかけてくれれば、アラクも正当防衛の名のもとに反撃ができる。
怪訝な表情でこっちを見ていた店主に、そっと金を出す。おそらくアラクたちご一行に何かあっても無関心を貫きたかったのだろう。店側としては迷惑以外の何物でもないから。外に出たことはここでも都合が良かった。
「どっちかが降参って言うまでだ。いいな姐ちゃん?」
「ああ」
集団のうちから一人が進み出る。右手には無骨な造りの、鉈とも斧とも言えないような武器が一振り。
当たれば軽傷程度では済まされないだろう。その重量から繰り出される勢いと威力は尋常ではない。
当たれば、の話だが。
「オラオラ行くぜえ!?」
ずん、と重量感のある跳躍。勢い良く振り上げられた高さから、風をも叩き潰すような必殺の一撃が舞い降りる!
「あ、が――?」
それを完全に見切り、まるで予めわかっていたかのように半身を切り間合いに踏み込んだアラクは、迅雷にも似た掌底を相手の顎に直撃させる。
アラクの身体があったであろう空白を、刃は通り過ぎて虚しく地面に突き立った。もうそこに、暴力性は見いだせない。
白目をむき出しにして、大の字に倒れ伏す。一瞬の出来事に、周囲のゴロつき共すら沈黙に飲まれていた。
「これでいいだろう。金などいらん。私もそろそろ帰らねばならん」
「……いやいや。何言ってんだよ姐ちゃん。そんな簡単に条件を守るとでも思ったか?」
「悪いが、そうは思ってなかったな」
ここも、アラクの予想通りだ。もし先ほどの一撃に恐れをなして、この集団が散ってくれるようなことがあれば御の字もいいところだった。
いつの時代も、悪党とはろくなものじゃない。そうため息をこぼしつつも緊張感を高める。
人数はひとり減って5人といったところか。この程度で怯むほどアラクの力は伊達ではない。
周囲を取り囲む奴らをざっと見回して、何となくの戦闘ビジョンを予見しておく。
「あんた、後悔するぜ?」
「御託はいい……かかってこい」
まるで獣のような雄叫びを発する男ども。
彼らに人間のようなプライドはない。あるのはただ、目の前の獲物を狩るという執念。
初めに繰り出される拳。
容易く腕を絡め、関節を捻り上げて一気に負荷をかける。
「あぎゃああああ!」
そのまま地面へ叩き伏せると、間髪入れずに追撃がアラクを襲う。計算もチームワークもまるでない、力だけの攻撃。
そんなものではアラクにはかすり傷ひとつ、負わせることすらできない。
「それで攻撃のつもりか」
槍のような得物が彼女を狙う。勢い任せに刺突されるそれをひょいと避け、首を狩る軌道で上段蹴りをかます。その勢いを殺さず、むしろ身体に回転をかけ更なる回転蹴りがその脇腹に突き刺さる。
「てめえ!」
アラクの動きはまだ止まらない。相手の攻撃がありつつもなお前進を止めず、間断なき攻勢の波状攻撃は、まさに舞踊だった。
二人目が崩れ落ちる。その回転蹴りの着地を隙と踏んだか、左右の挟撃が明確な殺意を持ってアラクを飲み込もうとする。が、まだ舞の終局には早い。
ふっと屈んで空を切らせると、相手の足元をすくう。バランスを崩した時点で終わりだ。大胆な転倒を見せる片方に勢いを乗せた鋭角な肘を落とすと、短い断末魔が聞こえた。よもやもう片方が倒れた男もろとも攻撃を加えるわけにも行かず、ためらったその一瞬に掌底が滑り込んだ。
「おいおい……俺の子分をよくもやってくれたじゃねえか」
「悪党どもに加減する優しさは持ち合わせていない」
「ツケは高くつくぜえ!」
まるで大岩の崩落を思わせる一步。次など存在しない。
アラクが疾風となって駆ける。巨漢の意識を置き去りに、認知の外で動くそれは、まさに目では追えない閃光。
高い跳躍から尋常でない回転運動を伴わせ、頭部をピンポイントに狙撃する蹴撃。右脚での一撃、そして続く終わり際の左脚での二撃。
「……あ? 今何が、起こって……」
巨体は最後まで言葉を発せず、ひときわ大きな音を立てて大地との邂逅を果たした。
「女だからと舐めすぎたな」
彼らは凶片狩ではない。だからアラクもそれなりに丁重に扱ったつもりだった。事実、誰一人として死んでいないのだから。
「全く、これからまた飲むわけにもいくまい。仕方ない、霜月たちのところへ戻ることにするか」
涼しい風が吹いた。深く夜に沈む髪をなびかせる。
「夜もそこそこにしないと、みんな心配するだろうからな」