紫彗片を置いた山は村の南側。盗賊たちはこの山を越えてさらに南へと逃亡しようとしていた。
村が存在する十番領は、北で六番領と九番領、南で一番領と接している。村は十番領の北側にあり、南側で接している一番領とは遠く離れていた。あの盗賊たちは十番領内を縄張りにしているのだろう。
盗賊たちを追ってシマキを夜空に走らせていた霜月とアラクの目が、荷車を引いて走る盗賊たちの背中を木々の隙間から捉えた。まだ少し距離があり、盗賊たちは霜月たちの追跡に気付いてはいない。
そのとき、アラクがシマキの背をさすり、速度を落とさせた。
「えっ?どうして遅くするんだ?もう見えてるのに」
「少し確かめたいことがあってな。しばらく奴等の行き先を追う」
「ふーん?」
霜月は首を傾げながら、アラクの背からひょっこり顔を覗かせて盗賊たちを眺めた。速度を落としたことでまた少し遠ざかっている。納得いかない霜月の様子を察したのか、アラクは事情を話し始めた。
「この数か月の間、彼等のような紫彗片を狙う盗賊が増えていてな。紫彗の出現頻度が増えたことも影響しているのだろうが、それとは別に紫彗片を狙う盗賊が増えた理由に心当たりがあってな……」
「なんだそりゃ?」
「数年前から激化している九番領での内乱。知っているか?」
「なんか、村のみんなから聞いた気がするけど細かいことは知らねえ」
「そうか。簡単に言うと、十年程前に九番領の領主の一家が突然何者かの軍勢により制圧され、代わりにその軍勢の頭が領主になってから始まった内乱だ。最初は小規模だったが、この数年で激化した。このままでは周辺の領にまで被害が広がると危惧されているんだ」
「なるほど……。それと、あの盗賊となんの関係があるんだ?」
「最近捕えた別の盗賊から、思わぬことを聞いてな。その盗賊が九番領と通じていて、さらに彼等が取引の相手にしている商人や武器商人も九番領と通じている、という情報を得たんだ」
「えと、じゃああいつらももしかしたら九番領と通じてる奴等かもしれないってことか?」
「ああ。そして、紫彗片の原石を運ぶとするならば人目につく街ではなく人気のない山や森のどこかに居る加工屋に運ぶはずだ。こうして行き先を追うのも、加工屋の場所を知っておきたいからだ」
霜月はここまで聞いてようやく納得した。九番領の内乱という火の中へ油を注ぐ紫彗片。その流通を絶つことがアラクやトキヨノクニの凶片狩の目的なのだろう。
会話が途切れてから程無くして、盗賊たちは街へ向かう方角から逸れ始めた。
「あっ!どっかいくぞ!?」
「やはり街から逸れたか。もうしばらくこのまま追うぞ」
「おう!!」
盗賊たちが行く先は草と木がひしめき合う道なき道で、台車はとてもではないが通ることは出来ない。盗賊たちは途中で台車から紫彗片を下ろし、5人がかりで持ち上げて運んでいった。それに伴ってシマキの速度も早歩き程に落とすことになった。先程までの速度では盗賊たちを追うことにしか集中できなかったが、このくらいだと周囲の様子も余裕をもって見回すことができる。霜月もアラクも時折盗賊たちの周辺に目をやり、他に仲間がいないかを確かめていた。
「……ん?なんだ、あいつ」
ふと、盗賊たちから離れた背後の木陰に人影が見えた。白い羽織を着た、長い黒髪を結った剣士のようだった。今まで気付かなかっただけで、霜月たちとともにずっと盗賊たちの後を尾けていたのだろうか。
人影は盗賊たちときっちり一定の距離を保ちながら静かに歩を進めていく。
「あいつも凶片狩か?」
「いや、見覚えが無い。別の事情で奴等を追っているのかもな」
「どうすんだ?」
「どの道、加工屋の正確な場所が分かるまではこのまま追わねばならない。様子を見よう」
二人は盗賊たちと白い剣士の両方に目を配りながら後を追った。
盗賊たちを追う白い剣士は、霜月とアラクが彼等を追うよりもずっと以前からーー霜月が居た村にやってくる前から後をつけていた。
(凶片狩が現れた……予想した通り)
白い剣士は、この盗賊たち以外にも「ある目的」のもとで、沢山の盗賊を追ってきた。その目的が、いよいよ果たされようとしている。白い剣士の心は高揚感に包まれていた。それを抑え込み、静かに歩調を早め、徐々に盗賊たちとの距離を縮めていく。そしてーー。
「ーーぐぁあああ!!」
背後から音も無く盗賊の男の一人に斬りかかった。男は背中に深々と斬撃を食らい、くずおれる。均衡を失い、担いでいた紫彗片は残り4人の手から離れてゴトンと地面に叩きつけられた。4人はすぐさま背後の白い剣士の方へ振り向き、それぞれ戦闘態勢を取る。4人の中から頭が白い剣士の前にゆっくりと歩み出た。
「なんだおめぇ?凶片狩かァ?」
「いいえ」
「じゃあ何だ。おめぇもこいつを狙ってきたのか?」
「貴方たちのような屑と一緒にしないでください」
鉄仮面のような抑揚のない表情と声色で挑発する白い剣士に臆するどころか、逆上した頭は乱暴に紫彗片の刀を抜き放ち、上段に構えて白い剣士に走り込んだ。
「ンだとてめぇ!!もっぺん言ってみなァ!!」
白い剣士も頭の怒気をものともせず、刀を一度納めて居合いの構えを取る。そのままギリギリまで頭を引き付けて動かなかった。
「ケッ!!そのまま死ねや!!」
頭は力任せに紫の刃を振り下ろす。だが、白い剣士は刃が頭に触れる直前で頭の視界から消えた。
「!?なんっ……」
気付いたときには、頭の右脇腹に白い剣士の刃が食い込んでいた。白い剣士は目にも映らない速さで頭の右側へと移動し、刀を抜き放っていたのだ。頭は倒れ込み、脇腹の傷を押さえるが、致命傷には至らない深さであることに気付き、痛みに耐えながら不審そうに白い剣士を見上げた。白い剣士はすでに残り3人に目を向けていた。
「お、おい、戦いだしたぞ!?しかも2人倒しちまった!」
「ああ……」
上空から様子を窺っていた霜月とアラクは、剣士の不可解な行動に疑念を抱いた。
「どうすんだよ、このままだと俺が取り返すって約束……」
「……それもそうだな。それに」
アラクが倒れ込んでいる頭に視線を向けた。頭は脇腹の傷を押さえながらも、何かに駆り立てられているかのように必死で紫彗片の刀を握り立ち上がろうとしている。さらに、口元をよく見るとしきりに何かを呟いているように見えた。
「あの男は紫毒にかかっている。あの状態ではどれだけ傷を負っても意識がある限り攻撃を止めないだろう。それに、早く片を付けなければあの刀と紫彗片の紫毒に全員侵される危険もある」
「!それじゃあ俺らもあいつに協力して、さっさと盗賊の奴等を倒さないとってことだな!」
「ああ」
アラクは頷くと、シマキの背を二度叩き、盗賊たちと剣士の渦中へと急降下させた。嵐のような風を纏いながら舞い降り、戦いは突如の突風によって阻まれた。
盗賊たちは何事かと突風の先へと向き直る。白い剣士は特に動じることもなく、最初からこうなることを分かっていたかのように佇んでいた。
霜月とアラクは着地したシマキから飛び降り、盗賊たちと白い剣士と対面した。まずアラクから先に口を開く。
「私は凶片狩のアラクだ。紫彗片を我々の検閲無く持ち出そうとしたお前たちを捕えに来た。観念しろ」
凶片狩の証である、大国主の刻印が刻まれた手のひら大の石版を懐から出し、盗賊たちに突きつけた。盗賊たちは一瞬たじろいだが、脇に倒れている頭が鬼の形相で「退くな」と訴えていることに気付き、抵抗を余儀なくされた。
アラクは霜月に、小さく指示を出した。
「君はまず、倒れている頭からあの刀を取り上げてシマキが居る方へ投げてくれ。くれぐれもシマキには当てないようにな」
「わ、分かった!」
「それから、私とあの剣士で盗賊たちの動きを止める。その間にシマキの上に紫彗片と刀を担ぎ上げて、シマキとともに『所定の場所』に紫彗片を運ぶんだ。シマキが場所を知っているから、君は紫彗片を落とさないように押さえてくれるだけでいい」
「お、おう……!!やってみる!」
「よし。頼んだぞ」
霜月とアラクは同時に盗賊たちの中へと駆け出した。アラクが先頭に立ち、盗賊の気を引く。その間に霜月は彼等の横を素通りし、倒れている頭のもとへと向かっていった。頭はすでに、紫彗片の刀を杖代わりに片膝をつく態勢になっていた。
「その刀を離せえええええええええ!!!」
霜月は雄叫びを上げながら頭に思い切り体当たりを食らわせた。頭は体当たりの勢いのままごろりと倒れ込むが、刀は離さなかった。霜月は素早く起き上がり、頭の右腕と刀の柄を握って引っ張った。
「くそっ!!離せってんだよー!!」
「分かってる……絶対に離さねえ……離す訳にゃいかねえ……絶対に」
霜月の声が聞こえているのかそうでないのか、うわ言のように同じことを繰り返しながら刀を強く握りしめていた。少し気味悪く思いながらも、霜月は必死に腕と刀の柄を引っ張り続けた。しかし、これでは埒があかない。焦りだした霜月は、ふと頭の脇腹にある傷に目を向けた。しばらく考え込んでいたが、意を決して立ち上がった。
「おっさんゴメンッ!!」
目を瞑り、一言謝罪を述べながら、頭の脇腹の傷を思い切り蹴り飛ばした。
「ぐあああああああ!!」
頭は激痛にのたうち回り、その拍子にとうとう刀を手放した。霜月はすぐに刀を拾い、シマキが立っている手前に狙いを定めて投げ飛ばした。刀はシマキの手前で地面に突き刺さった。
「よっしゃあ!!あとはっ……」
アラクと剣士が交戦している先にある紫彗片。アラクは1人の男と、剣士は赤茶けた長髪の少年と交戦していた。剣士にもいつの間に作戦を伝えたのか、紫彗片から遠ざかるように動いていた。アラクはすでに一人を叩きのめしていたが、何故かもう一人に対しては加減をして戦っているように見えた。
少し疑問に思いながらも、霜月は紫彗片のもとへと急いだ。シマキも先程の刀を咥えてやってきて、紫彗片を担ぎ上げたらすぐに飛び立てるようにしていた。
「よおしっ……」
数人で持ち上げて運んでいた紫彗片だが、存外に軽かった。同じ大きさの鉄の塊ならば持ち上げることは出来なかっただろう。軽量かつ非常に硬度があるーー紫彗片の大きな特徴のひとつだった。
両手で持ち上げて紫彗片を起こし、そのまま引きずって霜月から先にシマキに跨り、上から紫彗片を引っ張り上げてシマキの背に乗せた。紫彗片の重みが加わり、シマキは軽く唸り声を上げた。
「ご、ごめん、重いよな……。さっさと運んじまおう!」
霜月とシマキが紫彗片を乗せて飛び立とうとするのを阻止しようと、2人の盗賊はアラクと白い剣士を振り切ろうとする。だが、彼等よりも先に飛び出していく者がいた。
「……返せえええええええ!!!」
先程、霜月に腹の傷を蹴られてのたうち回っていたはずの頭だった。出目金のような目を限界まで開け広げ、涙と涎をだらだらと流しながら重傷とは思えない速度で霜月とシマキに向かって駆けてきた。
「なっ……!こ、こっち来んなあ!!」
追いつかれる寸前で、シマキは風を起こして飛び立った。発生した突風に撒かれて頭はごろりと地面を転がり、上空の霜月とシマキを阿修羅のような形相で睨み付けていた。霜月は一瞬目が合い、ここまで来れるはずがないのに今にも飛び上がってきそうな頭の殺気に言い知れぬ恐怖を覚えた。
(紫毒って……人をあんなんにしちまうのか……)
先刻、アラクが言っていた九番領の内乱。今、九番領にはあの頭のような紫毒にかかって狂人となった人間が沢山いるのか。そう思うと、震えが止まらなかった。
『ーーお前も同じになれば怖くないよ』
霜月が恐怖に包まれていると、またあの奇妙な声が聞こえてきた。
(またかよ……!)
耳を貸してはいけない気がして、聞こえていないふりをし、応えることもしなかった。その後も何度も奇妙な声は話しかけてきたが、沈黙を絶対に破らず、声に意識を引き込まれることを拒んだ。
そうして耐えているうちに、いつの間にか『所定の場所』に着いたらしい。シマキが地に舞い降りる振動で霜月は我に返った。
「こ、ここがその場所か?」
霜月とシマキが降り立った場所は、深い谷底だった。目の前に高くそそり立つ絶壁に、ぽかんと横穴が空いている。シマキは霜月と紫彗片を乗せてその横穴へと入っていった。しばらく進むと、奥に巨大な穴が現れた。シマキはまず咥えていた紫彗片の刀を穴に落とし、霜月を背中から降りるように促した。霜月が背から降りると、次は身体を前傾させて紫彗片を穴に落とした。落としてからかなりの間を要して、ようやく穴の底からゴトンッという落下音が聞こえてきた。
「すげえ深いんだな……。こんなん誰が掘ったんだ?」
霜月は真っ黒な穴をしげしげと覗き込む。シマキはそんな霜月を急かすように、鼻で小突いた。
「ああ、悪い。早くアラクたちんとこに戻らねえとな!」
霜月がシマキの背にぴょんと飛び乗ると、シマキは一気に駆け出して横穴を出た。そして再び風とともに飛び立ち、谷底を抜けて夜空を走っていった。
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賢♂ (金曜日, 07 8月 2015 00:06)
居合の達人、カザッち登場
頭の描写で紫毒のヤバさが良く分かる